
授業づくりに正解はありません。
ICT教材やAIなど、新しい技術が次々と登場するなか、多くの先生方が「子どもたちに本当に必要な学びとは何か」を問い続けています。
創業80周年を迎えた誠文社もまた、長年教材を通じて教育現場と歩んできました。だからこそ今、教材そのものだけではなく、
その先にある授業づくりや子どもたちの成長について、先生方と共に学び、考えていきたいと思います。
本連載では、教育の第一線で活躍する先生方へのインタビューを通じて、「楽しい授業とは何か」「これからの教育に必要なことは何か」を探っていきます。
第1回は、「算数で、個育て」を掲げる明星小学校校長の細水保宏先生。算数教育の第一人者として知られる細水先生に、未来を生きる子どもたちに必要な力、そしてその力を育む授業づくりについて伺いました。
細水保宏様 明星大学客員教授・明星小学校校長・明星幼稚園園長。公立小学校、筑波大学附属小学校、同副校長を経て現職。全国算数授業研究会元会長、ガウスの会会長、小学校学習指導要領解説算数科編(平成20年度版)作成協力委員を務める。教育出版教科書「算数」著者。近年はYouTube「細水校長ワクワクチャンネル」でも、算数のおもしろさを発信中
欲しい情報はすぐに手に入り、AIに聞けば答えが返ってくる。そんな、無駄がなくなり便利になった時代。学校現場でもGIGAスクール構想の推進や生成AIの登場によって、大きな転換期を迎えています。
明星小学校でも教材作成やテストの採点、集計などでデジタルツールを活用する機会が増えているようです。
細水校長自身も、こうした変化を否定する立場ではなく、むしろ「まず使ってみることが大切」と考えています。
例えば算数では、デジタルだからこそ可能になる学びがあるといいます。
円を16等分、32等分と細かく分けて面積の規則性を視覚的に捉えたり、グラフの傾きの変化を瞬時に確認したりすることは、紙と鉛筆だけではなかなか実現できません。
「デジタルによって今までできなかったことができるようになる。それは大きな価値」と語ります。
一方で、失われるものもあるようです。例えば先ほどの円を分割する学習でも、デジタルであれば簡単に32等分、64等分と進められます。しかしその反面、線を引く技術や定規の使い方など、手を使って身につける力が育ちにくくなる側面もあるといいます。
細水校長は、手で触れ、試し、失敗しながら学ぶ体験には、デジタルだけでは代替できない価値があると考えています。
実際におはじきを並べてみる、ブロックを積んでみる。手を動かしながら試行錯誤する体験は、知識として理解するだけでなく、五感を通して学びを自分のものにする機会にもなります。細水校長は以前、誠文社の「さんすうぼっくす」を「子どもたちにとっての宝箱」と表現してくださいました。デジタル教材によって学びの可能性が広がる一方で、実際に手で触れながら考える教材の価値はこれからも変わらない。細水校長はそう考えています。
だからこそ細水校長は、「デジタルかアナログか」という議論には意味がないと考えています。
大切なのは、それぞれの良さと弱さを理解しながら使い分けること。デジタルでしかできない学びを取り入れながら、手を使い、五感を使う体験も同時に残していくことだといいます。
AIについても考え方は同じです。
例えば英作文。
以前は先生の添削を待つしかありませんでした。しかし今はAIに見てもらうことができます。
ただし、それを丸ごと正解として受け入れるのではなく、
「ここは違う気がする、この表現の方が自分らしい」と考えながら修正していく。
その過程で思考が深まり、学びが生まれるのではないかと語ります。
ただ、やはり懸念も。
近年は採点や集計を自動化するツールも増えてきました。教師の負担軽減という意味では大きな価値があります。
しかし細水校長は、「この子はなぜできなかったのか、どこでつまずいたのか」を考えながら答案を見る時間こそが、教師を成長させてきた部分もあると指摘します。便利さ、それに効率化も必要です。
けれど、その先にある子どもとの対話まで失ってはいけない。そこに細水校長の一貫した教育観がありました。

では、AIやデジタルが進む時代に、育てるべき力とは何なのでしょうか。
その答えを探るヒントは、細水校長自身の子ども時代の思い出の中にもありました。
小学生の頃、夢中になったのは昆虫採集。中でもトンボを捕まえることが大好きだったそうです。
しかし当時は今のように何でも揃っていたわけではありません。網を買うお小遣いもない。
だから自分で考えるしかなかった。
針金を立てて一晩置き、そこにクモの巣を張らせる。その仕掛けでトンボを捕まえる。
チョウはどうしたら捕まえられるのか。ビニール袋を付けて網を作ってみるが失敗する。また考える。
まさに今、「探究」と呼ばれる活動です。
ただ面白かったから、夢中になって続けていた。細水校長はそう振り返ります。
だからこそ今の教育でも、ただやり方や答えを教えるのではなく、「探究したくなるきっかけを与えること」「夢中になる場を創ること」こそ重要だと考えています。
例えば、色々な形の積み木をどれだけ高く積み上げるか子どもたちが取り組んだとき、先生がやり方を教えるよりも、まずは自由にやらせて、失敗も経験させる。そこから試行錯誤が始まります。安定感のあるものを下に置くと良いと自ら気付く。友達との話し合いを通して、より高く積み上げられるようになる。そうした経験の方が、次の学習に生きるといいます。
そして、その試行錯誤そのものに楽しさがあると、細水校長は語ります。
「今の社会はどんどん無駄がなくなり、その流れはさらに加速していくでしょう」
効率化が進み、遠回りを避けることがよしとされる時代。しかし教育においては、無駄に見える時間こそ価値を持つことがあります。その過程があるからこそ、人は成長する。
だから教師は、子どもが考え始める“きっかけ”をつくらなければいけない。
すべてを教えてしまうのではなく、子どもが動き出したくなる余白を残す。
それが教師の役割なのではないかと語ります。

明星小学校を語る上で欠かせない言葉があります。
それが、「算数で、個育て」です。
算数を得意にさせることが目的ではありません。算数を通して、一人ひとりの個を育てることが目的です。
細水校長は、学校全体で授業づくりの共通言語を持つために、算数を軸にしたと話します。
細水校長がよく紹介する問いがあります。
「12×3は?」答えは36ですね。
では、「36になる式は?」と聞くとどうなるでしょうか。
6×6。
9×4。
4×10−4。
30+6。
子どもたちから次々と違う考えが出てきます。答えは同じ。でも考え方は違う。そこに個性が現れるのです。そして友達の考えを聞くことで、新しい発想も生まれます。算数は単に計算をする教科ではありません。
違いを認める教科。
論理的に考える教科。
他者と学び合う教科。
答えがすぐに手に入る時代だからこそ算数は、「個育て」の土台になるのだと細水校長は語ります。
明星小学校の生徒のノート。様々な考えが浮かんでいる様子がわかります。
「個を育てる」ため細水校長は若手教師に対して、「子どもの主治医になってほしい」と伝えているそうです。
できる。
できない。
これだけなら誰でも見えます。必要なのは医師のように症状、つまり「どこでつまずいているのか」を読み取ること。しかし、経験により差が出やすく、若手教師には難しい。そのために大切にしているのが、子どもたちのノートだと教えてくれました。
今どんなことを考えているのか、どう解こうとしているのか、何がわからないのか。
その姿が見えるようにメモをノートに書かせる。
そうすることで、若手教師でも、子どもの状態を把握しやすくなったといいます。
また、細水校長は「3つの対話」を大切にするように伝えているようです。
一つ目は、
問題との対話。
答えはいくつくらいになるのか。
どうやって解けそうか。
まず問題そのものと向き合うように声をかける。
二つ目は、
友達や先生との対話。
他者の考えに触れ、自分の考えを広げたり、深めたりすることができるよう促す。
三つ目は、
自分自身との対話。
授業が終わったとき、「今日は何を学んだか」だけではなく、
「自分はどう成長したか」と振り返らせる問いかけをする。
この3つの対話を通して、子どもたちの学びは深まっていくだけでなく、先生自身も子どもの状態を把握できるようになるといいます。
マグカップには、全面ぎっしり数字が書かれています。何の数字だかわかりますか?
最後に、「授業の楽しさとは何ですか」と尋ねました。
細水校長の答えは、「想定外との出会い」でした。
自分なりに考えていたことと違う、予想していなかった発見がある、友達の意見に驚く。
その瞬間に、「へぇー!」「なるほど!」という発見が生まれるのだといいます。
上にある写真は、細水先生が自ら作ったマグカップ。一面に書かれた数字は素数。素数について考えるきっかけや、「割れない数」という特徴に興味を持つきっかけになればと考えて作ったそうです。
教師は、「楽しい授業をつくらなければ」と肩肘を張る必要はない、といいます。
大切なのは、自分自身が子どもたちの目線に立って、子どもが考えたくなる問いを投げかけること。
ワクワクしながら、そして少しだけ余白を残すことがポイントだと教えてくれました。
発問を一つ変えてみる。
すぐに答えを教えない。
子ども同士で話す時間を増やしてみる。
難しく考える必要は全くないともフォローしてくれました。
例えば、画面に映す問題をコピー用紙で覆ってしまって、見えない状態にする、問題をあえて、QRコードを読み込ませないと表示されないようにする、そんな一見無駄に思えるようなことでも、子どもたちからどんなリアクションがあるか考えると、ワクワクしてきませんか?
そんな小さな工夫や余白が、子どもたちの主体性や探究心を引き出すきっかけになるかもしれません。
子どもたちの未来を生きる力は、毎日の授業の中で確実に育まれていきます。そしてそれは、先生たちが作り出す、ちょっとした「想定外」との出会いがきっかけ。
細水校長が伝えたかったのは、特別なことではありません。明日の授業で、たった一つ問いを変えてみること。その小さな挑戦こそが、子どもたちの未来を生きる力につながっていくのかもしれません。
細水校長のお言葉は、「楽しい授業に挑戦したい」と願う先生たちへの、温かなエールのように感じられました。
取材後にご紹介いただいた算数にまつわる貴重なコレクション。楽しそうに語る姿からも、トンボを追いかけていた頃の探究心が今も変わらず健在であることが伝わってきますね。